伝わる文章は結論から

あなたは自分の、話し方や作文で損をしていると感じた事はありますか?
私はめちゃくちゃあります。
それはもう鬼の様に。
今回は効果的な文章の構成についての話です。

まず結論から書く。

そのまんまです。
この記事も「「結論から書く事」が結論ですよ」と記事タイトルで最初に書いています。
まずは着地点を先に用意してしまいます。
その後に「なぜ、そうするのか」の根拠を書いていきます。

結論から入る事は聞き手にとって理解しやすい

結論から入った時、聞き手は「それはどうしてか?」と疑問を持ちます。
その根拠を説明して疑問を解消する。と言う流れは聞き手に沿ったプロセスだそうです。
どうやら「考える技術、書く技術」という本にて書かれているそうです。

書き手の書きたい流れと、読み手の読みたい流れ

それなのに、聞き手に沿って書けないのはいくつか理由がありそうです。
僕らはつい、自分の頭の中の流れのまま書いてしまいたくなるものです。
しかしそれは往々にして書き手に沿ったプロセスであり、聞き手に易しくありません。

そもそも読んでもらえるキッカケになる

自分の知りたい事が書いてあると解るタイトル。と
自分の知りたい事が書いてあるのか解らないタイトル。
そのどちらにも同じ事が書いてあったとしても、あなたは前者を読むはずです。
みんな、知りたいものを探しているんですね。

SEO対策でも言われてる

理由はひとつ上と同じですが、ブログなどのSEO対策でも言われている事です。
これって実はネットが出てきてSEO対策なんて言われて意識してるけど。
本が売り物になった時点で発生してたのでは……?

読み手にとって、一種のカタルシスがある

これは自分の経験上の感想であるのですが、いい文章は読んでいて気持ちのいいものです。
その気持ちいい感情が、言葉の並びそのものから得られるなら、その文章は効果的です。
おそらくですが、結論から始まり疑問を解消する構成は一つの様式美で、一種のカタルシス的なものを呼ぶのではないかと思います。

例外として、結論から書いちゃダメな文章もあります。

それは「推理小説」です。
しかし、面白い事に例外にも例外はあるんですね。
それは犯人を先に言ってしまう推理小説です。
「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」が有名です。

マリオ

僕がまだ小学生になる前だったか、当時から何かキャラクターものに憧れる癖があった。
戦隊モノはあまり記憶にないのだけど、マリオとか鬼太郎とかゲームやアニメのものが多かったと思う。
今日はマリオ厨だった頃の話。

散髪

髪を切りに行く時は近所の床屋だった。
マリオ厨になった僕は早速マリオのイラストを持って床屋に行った。
「こんな風にしてください!」
そういってイラストを見た店主は僕の襟足の毛を触りながらこう言った。
「もうなってるねぇ……」
そう、僕は若干のくせ毛なのだ。
それを聞いた僕はショックを受けた。
もうマリオになってるけど、鏡に映ってる僕は全然マリオじゃない。
何か納得いかない、でもマリオにはなれない。
現実を突きつけられたような感覚によってさっきまでの勢いはどこかへ消えていった。
結局いつも通りの髪型に切ってもらったと記憶している。

マリオグッズ

マリオは当時から今まで任天堂の顔ですから、グッズは山のように出ている。
たぶん「なんでも鑑定団」とかの影響だろうけどグッズを集めたいと思った。
それも「世界中の全種類のマリオグッズを」である。
それから母と外に出た時はおもちゃ屋さんによってもらうように働きかけ。
マリオグッズを探し買ってもらおうとした。
しかしそれを何回か続けると母は「またか〜」といった感じだった。
その反応を見て子供なりに簡単な事ではないんだと理解した。
「こんなに母に嫌がられながら世界中のマリオグッズを集めるのはめちゃ大変じゃん」
そう思って僕はマリオグッズ収集を挫折した。

スーパーゲームボーイ

お盆には叔母の家に泊まりに行くイベントがあった。
僕はこの頃もマリオブームだったのだが、もしかしたら小学生に上がった後の第二マリオブームだったかどうかは定かではない。
年に1度のわざわざ叔母の家に止まるイベントなのに僕はゲームを持って行くことにした。
それはスーパーマリオランドなのだが、ゲームボーイで良いものの、わざわざスーパーファミコンとスーパーゲームボーイでやるというのだ。
正直な所スーパーマリオランドはセーブ機能が無いし、後半難しくなっていくし、そこまでハマってない。
何が面白かったってスーパーファミコンでゲームボーイのソフトが動くのが楽しかった。

沢田ユキオ先生

僕はコロコロコミックを読み始めたタイミングがめちゃ遅かった。
「おい、その年齢からコロコロコミックかよ」って年齢であるにも関わらず「スーパーマリオくん」を集め始めていた。
内容は子供向けの漫画で、正直楽しかったかというと微妙な線であるが、これもマリオ愛ゆえであった。
しかし、これもまた巻数が多いので挫折に終わる。

ある日、Kくんとマリオの話になりマリオを描く事になった。
僕のマリオを見たKくんは「ななゆびならもっと上手いはずだ」と言った。
僕は絵が上手いというステータスで通っていたからだ。
この時、僕はイマイチピンと来ていなかったが、たぶん「沢田ユキオマリオ」を描いていたのではないか、という説が今では残っている。

チャレンジ一年生

古くからの同級の友人であり、社会人の大先輩、デザイナーの大先輩、みたいな友人と喋ったらレベルが高くてついていけない。
なぜ、俺はあんな無駄な時間を……(三井寿)

「何か作らないと……」という焦燥感

みなさんは「何か作らないと……」という焦燥感に苛まれた事はあるでしょうか。
僕はありましたし、今でもある時はあります。
昔はそんな焦燥感で押しつぶされそうになった事もあるように思います。
そんな時はどうしたらいいんだろう。

焦燥感を拭い切れる日は来ない

さっそく残念な結論なんですが、たぶん焦燥感を拭い切れる日は来ないです。
それは精神病の寛解のようなもので無くなったとは言い切れないってやつですね。
これはもう一生付き合っていくしかない。
逃れきれないものだと思ったらちょっとだけ落ち着いてきませんか?

それぞれのケース

私個人のケースなのですが、幼少からの成長の過程で「作る」という事がアイデンティティだという勘違いになったのだと思います。
人が生まれながらに意図を持ってる訳ではないはずなのにです。
でも、これは原体験であり、自分そのものですから愛してやるしかないじゃない。

私以外の人も何かしらの原体験などがあって、作る事に固執してしまったケースなのかと思います。

ものを作る人間になってしまった人の未来

そんなこんなで自分自身はものを作る人になってしまった。
たぶん、どうあがいてもそれは覆らないと思います。
野球少年やバンドマンだって過去の自分が作った現在の自分を演じている。
大事なのはその持ってるカードでいかに戦うか。
野球ともの作りならスポーツライターなんてどうでしょう。
バンドマンともの作りなら楽器のリペアマンなんかもいいかもしれない。
自分のカードを呪わず、活かす事が大切かと思います。

今日できる事

と、大それた事を言っても焦ってちゃあ得るものも得られません。
すでに高い人に登りつめてる人は運が良いだけでなく努力もしてきたはずですが。
私が努力しているかしていないかのモノサシではないです。
ひとつひとつ、やっていきたい所ですね。