やらなきゃ感

やらなきゃ

今日は少し遡って12月8日のルーティンワークの時の話です。この日、ウォーキングとブログは楽しいぐらいの気持ちで取りかかれたのですが、ワンドロは「やらなきゃ感」を3割ほど感じたんです。それってどういう事で、どう捉えると良い循環になる?とかそういう事を考えてみようと思います。まず、ワンドロってそもそもやりたい事でしょうか?これは修行や練習などに近いですから、正確に言うなら、やりたい事の中のやりたくない事、の様な匂いを感じますね。ある程度めんどくさくて並ですよね。で、このワンドロは今はルーティンとしてのワンドロで、30枚を達成する事を目的としているので技術向上は無視して良いんですが、やはり「上手く描けたかどうか」を気にしてしまいます。おそらくこの辺が今回の話のキモですね。ところで、今現在のルーティンの中で一番ハードルが低いのはウォーキングです。それは僕はウォーキングの良し悪しをよく知らないからではないかと思います。時間を計っていれば早く歩けたか遅く歩いたかで一喜一憂するかもしれませんが、時間は計ってませんし。エネルギーの燃焼が〜とか詳しい情報も知りません。結果、近所を歩くだけで「よくやった!」と思える訳です。これがブログになると「上手く書けたかどうか」は少し気になってきます。今、こんな記事で良いのかな……ってなって投げ出しかけました。もしや、これは絵と一緒の現象なのでしょうか?で、絵の話に戻ります、自分で言うのも何ですが、僕は絵との付き合いが長いのもあり、ある程度厳しい目を自分の絵に向けているつもりです。しかし、自分の作品の品質とは無関係に。つまり、描く度に高確率で「下手くそだな」って思っています。そういう事で、僕は絵に対しての知恵が少し付いてしまっていると思えます。なので、描いたモノに毎回「よくやった!」を出せないんですね。これはウォーキングとは違う事です。正直よく分からなくなってきたんですが、なんか「やらなきゃ感」は起こる……

とりあえず、何か手を打つ

ブログの記事を書いていて思ったんですよね、ちょっと記事が上手く書けてないと思うから、1日前倒しに書き上げて、投稿時に添削しよう、って。それで質が良くなるかどうかは分かりませんが、とりあえず手を打つ。あと、これは既にしている事ですが記事を書く前にネタとかをメモる。そういう手を打ってますよね。なので、ブログに関しては「やらなきゃ」から「やってる」までの距離が短いんだと思います。ところが、ワンドロの方ではそれほど手を打ってない事に気付きました。描きたいモノのネタはほとんどメモってないし、何を描くか決まってないままワンドロが始まるし。質を上げる為にやってる事が少ない。そうすると自分からの「下手くそだな」が増えるので良くないですね。なんか思考停止してる感じ。そうなるとやる気も減退して、でもやりたい事がその向こうにあるからやらなきゃになるんですが「やってる」までの距離が遠い……。思考停止してる部分を意識して、1時間で出来る事をちゃんと考えたり、ゴールの様なものを設置してみたりすれば「やってる」までのステップになってくれそうですね。「ワンドロ」を細かく分解してみると意外と「やれる事」の中にも「やれてない事」あるんだなって思いました。

自己効力感の話

必要なもの

やれる事、には何が足りていて、やれない事、には何が足りていないかの話です。ここで言う「やれるかやれないか」は「達成出来るか出来ないか」ではなく「実行に移せるか移せないか」という意味で、成功失敗の話はまた別の話です。やれる事とやれない事は、それに向き合う時の心のあり方が違うと思いませんか?「やれるかやれないか」を分ける一つの要因として自己効力感というモノがあるらしいです。ザックリ言うと、自分に何かを達成したり、変えたりするなどの力を感じるかどうか、とかなんとか。つまり自信みたいなものですね。自信って多少なり持ってないと何もする気になれないですよね。「やれるかやれないか」の要因はそれだけではないでしょうけど、まず、自信はあった方がやりやすいですよね。

自信がない時

自信がない時の僕らは無意識に、何かとその人の決まり切った思考パターンを行って自らやる気を削いでいる様です。別にやる必要が無い事であれば、やらなくても問題ないですが、やれるようになりたい事、を、やれる事、にするにはコイツが邪魔になってきますよね。自分で自分を変えられる自信が無くなっては続ける事もままなりませんから。自信がない時の自分に心当たりがある方は、どうして「やっても無駄」と感じてしまっているのか、考えると何か出てくるかもしれません。回答は人それぞれだと思いますが、パターンがあると思われます。

自信をつける

パターンの話をしといて何ですけど、ここで言う一つの対処法は、そのパターンとあんまり関係ないです。一応、「やった事の成功分と失敗分を意識して見よう」とか言うのあるじゃないですか、「コップに水が半分『も』入っている」と見るか「コップに水が半分『しか』入ってない」と見るか、みたいなやつですね。あれらの様な、認知の歪み、的なあのやつ、あれは今回は話しません、というか話せません。実際細かくやってないからです。今やってるのは、今、やれるようになりたいと思っている事とは別のやれる事をやって自信をつけようって方法です。具体的に私の場合を言うと以前言っていた、ウォーキング、ワンドロ、ブログ、ですね。もちろんこれは人それぞれの難易度調整で。これって自分の苦手な事ほど効果が高いらしいです、けどわざわざ苦手な事に突っ込むと結局、自信を失うんじゃないかと思うので、たぶん苦手な事じゃなくて興味ない事に近いんじゃないかな、と個人的には思います。はい、ではこれでバッチリ、自信がついて絵も描ける様になるかと言えば、そんな事全然ないんですよね。すでにやれる事、の中にも、ちょっとやれない事が含まれていて、それに当たると違和感があるんですよね。神経質だなぁと思いますけどその辺はいずれ細かく記事にしたいです。それでですね、今、やれるようになりたいと思っている事とは別のやれる事をやって自信をつける、って可能なの?って話なんですよね。AがやりたいのにBやっててAに対する自信つくの?って。僕もそう思います。そんな事考えてるとBをする自信も減ります。予想した通りにBをやってもAに対する自信つかないかもしれないです。でも多分これは自分でやる気を削ぐ思考パターンの一つなんでしょうね。やれる事、でさえもう既に脳は嫌がってゴタク並べてるという(笑)なんだろう、結局「やれる事」をやる事が「やりたい事」をやる為の練習になってる様な気もしますね。

やれるようになりたい事

諦められない、でもやらない

みなさんやれるようになりたい事はあるでしょうか?歌が上手くなりたいとか、絵が描けるようになりたいとか、腹筋割りたいとか。多分ありますよね。それに対してどれぐらい「諦められないでいるか」は人それぞれ差があると思います。「自分じゃ無理だから」ってほんわか諦められるのも一つのいい事だと思います。なぜなら本当に諦められてるなら苦しくないですもんね?僕は何かと諦められない人なんですが、じゃあ今やれる事やってる?って言うと、そうじゃないんです。諦めてないけど何もやらないでいる状態で、それは苦しいもんです。自分で自分が嫌になりますよね。本当はやる事やって、どんどん強くなって、やれるようになりたい事を本当にやりたい。でもやってない、でもでも諦めてない。理想と現実の差が開く一方です。理解できない人はいるでしょうけども、そういう状況に覚えのある人もいると思います。

なんでやらないの?諦めないの?

諦めても支障のない事であれば諦める方が楽ですよね。別に、歌が上手くなくても、絵が描けなくても、腹筋割れてなくてもいいじゃないかと。「どうしても」っていう気持ちがある場合、頑張って諦めるのも手だと思います。その方が楽です。でも、たぶん諦めるのにも努力や仕組みが必要ですよね。では、逆に、みなさん支障がある事や、不可避な事もあるでしょう。そこは諦める訳にはいかなくなってきますね。じゃあやるしかない。でも、たぶんやるのにも努力や仕組みが必要ですよね。つまりです、「気持ちを切り替えて諦める」のも「諦めずに行動を取る」のもエネルギーが必要で、しかもちゃんと稼働しなきゃ前にも後ろにも動かない、という事じゃないです?それで、僕は稼働部分に着目したいと思ってます。「やりたい」エネルギーを「やる」に変える部分です。(もしエネルギーが足りてない人は休んでね。休み方は寝たりとかがいいんじゃないかな?)

やれる事

やれるようになりたい事、って言うのは、今はまだやれない、と言う事ですね。そうなんです、逆立ちしたってやれないんですよ、今は。でも、やれる事があるはずです。それを踏み台にして、やれるようになりたい事、に近づけていくんでしょうね、僕みたいなくそ太郎くんはアホなので最初っから、やれるようになりたい事、をやろうとしますよね。そうするとやれないんですよ。で、やれないのは当たり前の事なのにやれなかったと傷つく思考をする。くそですね〜。アホですね〜。でも!その思考さえも稼働部分の一部で、その部分を柔らげる為にやれる事もあるはずですよね。カシコいみんなはもうやってるかもしれないですね。これからはそういうやれる事を探したり、稼働部分を明らかにしていく様な記事を書いていきたいとかそういう感じの思いです。下手くそがもがいてんなって気持ちで見てください。