言葉と事実

昨日の是は、今日の否。先日「ボカロ卒業制作」とか言ってましたな。そういう事を考えたのは間違い無いです。でも、そうなるかは別の話です(え?)じゃあ、軽く書くなよっていうのは、たしかに、そうですけど。要は「どうなるかはわかんないね」っていう……。

という事で、今日は言葉と事実の話について思う事をついでに話すんですけど、そもそも言葉って事実とは関係ないですよね。例えば、頭上に空があって青かったとします。あぁ、青いなぁ。って時にそれを表す為に、「あ」「お」って音を続けてあの空の色と関連づけた、ついでに「青」って形を「あお」という音と関連づけて記録もできるようになった。でも「あの空の色」と「あおという音」「青という形」たち。これらは全然関係ないし僕らが決めた事ですね。(だから言葉は浮いていて(?)「赤い青」なんて矛盾した表現も出来てしまうけど、現実にはそんな状態ないし)多分こうやって文明的なものになって言ったんでしょうけど、だんだん行き過ぎていきますよね。例えば、「責任」とか?「保証」とか?なんていうか、ねぇ、僕らの中にしかねぇよなっていう。じゃあ、それらは要らない物かっていったら、無いと人間らしく生きれない気もしますけどね。

にしても、「言ってる事」と「やってる事」に対してみんな一致を求め過ぎてませんかねぇ?どうかなぁ、僕が言ってる事は無秩序過ぎるかなぁ?言動一致してる人の方が信頼されるのも理解できるしなぁ。結局なんだろう、元々言動は一致させようとしなきゃしないけど、させた方が色々信頼とか得られるし、一致させれるならさせた方がいい。でも、そんなシッカリした人多くはない。なのにシッカリした人を基準にみんな判断してしまって「嘘つき」がいっぱいに見えちゃうのかな?でも本当は「普通の人」がいっぱいで、一部の優秀な人間が「言動一致してる異常者」なのかもね。

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