作文は心を定める作業でもある
言いたいことは一つあればいいんです。
ただ出来るだけハッキリとした意見であり、
それを伝えるための一言一言が同じ方向を向いていればいい。
しかし、いざ書き始めると気づくことになります。
いかに自分の言いたいことが定まっていないかに。
「自分は一体何を伝えたいんだろう?」
そうやって自分の心と対峙するのです。
でも、そうして書き上げた作文はあくまで表現ですから「生の心」とはまた違います。
生の心は掴み切れるものではありませんが、
表現としての「他人に伝えるための心」は頑張れば掴めるんです。
「生の心」と「表現としての心」には優劣があるわけではありません。
ただ、何か指針を立てる時には「表現としての心」が大事になってくるのかなと思います。
まるで自分を説得したり、時には騙すかのように心を作るのです。
ロジカルが出来上がればモチベーションになるというものです。
さぁ、作文で心を作りましょうじゃありませんか。
自分が趣味で作ったモノに自分が一番救われてます
あ〜もうやだ〜、やりたくない〜、つらい〜!
そんな時に自分の作ってきたモノを見返すと少し自分を認められる。
「良いモノいっぱい作ってきたじゃん!君に価値がない訳ないよ!」
と、慰められるような気持ち。
今回のサムネだって一工夫してるんですよ。
フリーの写真に黒の教科書体を置いてるだけですが、
写真の中央から外に向かってぼかしがかかっているんです。
字は読みやすくなり、写真は接写っぽくなります。
ナルシストって思われても関係ねぇす。
自分が出来ること、解ってることを確認して、
自分の価値を見出すタイプなんですねぇ。